伸び続ける経済 「未来は現在になった」
建設中の高層マンション群が空へと伸びる。地上では世界中から集まった自動車ディーラーが商機を求めしのぎを削る。地球の反対側、南米ブラジルの中でも最も貧しい地域だった東北部の都市サルバドルの新興地区は、空前の「希望」に包まれていた。
建築事務所に勤めるミラ・レイスさん(30)は近く、警察官の夫(33)と地区の14階建てマンションへ引っ越す。先祖はポルトガル人という色白の顔をほころばせ「これから発展する街だからと、夫と決めました。今この国では、親の世代が届かなかった夢が実現できるようになった。あすは今日より、もっとよくなるでしょう」。
高級車夢じゃない
BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)と呼ばれる新興国の一角、ブラジルが上昇している。GDP(国内総生産)成長率は2010年、7.5%を見込む。かつてのわが国のような高度経済成長に加え、貧困層への補助金政策が新たな中間所得層を生み出し、世帯月収15万~38万円の中間層は国民の半分に当たる約1億人。GDPの60%は個人消費が占め、新車販売は10年、351万台とドイツを抜き中国、米国、日本に次ぐ4位となった。化粧品は米国、日本に続き3位。パソコンは4位…。
ミラさんが入居するマンションの前にはフォードや現代自動車、トヨタなどディーラー8社が並ぶ。ルノーの店で働くジャルデル・アルメイダさん(24)は「5年前は売り上げが月40台だったが、今は180台。売れば売るほど月給が上がるので一生懸命頑張っている。夢はマンションと高級車を買うことです」。
近くて遠い日本
高度成長のもう一つの牽引役は豊富な資源だ。神戸大学の浜口伸明教授(47)=開発経済学=は「08年秋のリーマン・ショックで先進諸国が低迷する中、ブラジルがいち早く立ち直ったのは内需主導に加え、鉄鉱石や大豆が中国へ大量に輸出されたことが寄与した」と指摘する。
ブラジルは日本から空路で25~32時間と最も遠い国だが、有数の親日国でもある。1908(明治41)年に始まった日本からの移民の子孫である日系人は推定150万人。戦後は日本企業、政府による大型投資や経済協力が積み重ねられた。日本国内には27万人の日系ブラジル人も暮らす。
サルバドル市があるバイア州政府の幹部、セザル・ナシメントさん(62)は「日本人は100年前から移民し、まだ『子供』だったブラジルの発展を農業分野で手助けした。戦後、青年となったわが国に科学技術で貢献した。現在は成年となったが、日本人はわれわれのお兄さんのようなものだ」と話し、白いあごひげを蓄えた赤ら顔を紅潮させてこう語った。
「わが国はずっと『未来の大国』と言われ続けてきた。今、未来は現在になった。夢が現実になった」
すでに安定成長「もう後戻りはない」
「希望大国」の行方を地球の反対側から、かたずをのんで見守る人々がいる。37年勤めた中堅電機メーカーを昨年末に定年退職した川崎市麻生区の堀誠さん(60)は先月、退職金の一部500万円を投資信託のブラジル債券ファンドへつぎこんだ。
「人生初めての資産運用。妻と投信セミナーへ通い、半年相談を重ねて、サッカーW杯と五輪の巨大イベントが終わるまでは大丈夫だと踏んだ。昔の日本も最近の中国も五輪や万博で盛り上がったわけだから」
わが国の個人投資家による投資信託は64兆円。このうち5兆円超がブラジルへ向かっているといわれる。理由は高い金利だ。日本国内で実質ゼロ金利が続く中、ブラジルの政策金利は年率11.75%。100万円預ければ1年後に11万7500円の利子がつく。証券各社は競って、ブラジル債券ファンドや同国の通貨レアル建てで資産運用するファンドを売り出している。
堀さんは「5年後に妻と初めての海外旅行でイタリアへ行くのが目標です」と語る。ただ、妻の泰子さん(60)は「私たちはブラジルのことをよく知らない。虎の子を託して本当に大丈夫なのかとも思う」。
偏ったイメージ
ブラジルといえば、開催中のリオのカーニバル、サッカー、そしてアマゾンのジャングルといった印象が強い。だがブラジルへの企業進出のコンサルタント、輿石信男さん(48)は「日本人のブラジルイメージはあまりに偏っている。例えばカーニバルはサンバの印象しかないが、ブラジルにとって大きな収益源であり、巨大イベント運営能力の証明でもある」と話した。
1週間にわたるカーニバルがリオデジャネイロへもたらす経済効果は400億円。10万人を超える観光客が詰めかける一大イベントを毎年運営していることになる。輿石さんは「陽気なラテン系であまり働かないといったイメージも事実ではない。製造業従事者の平均労働は週43時間で日本と同じだ。若者たちは昼間働いて夜間、大学へ通う」と解説する。
アマゾンにしても、180万都市マナウスには売上高が年間350億ドル(3兆円)に上る世界でも指折りの経済特区がある。ホンダをはじめ日本企業が37社進出、フィンランドのノキアなど4社は国内外向け携帯電話を年間1913万台生産している
30年前の日本
資産運用会社「野村アセットマネジメント」のエコノミスト、藤田亜矢子さん(36)がわが国と新興国の2009年の1人当たり名目GDP(国内総生産)を比べたところ、ブラジルは8628ドル(73万円)でわが国の1979(昭和54)年と同水準だった。中国は3267ドル(27万円)で73年と同じ、インドは1034ドル(8万円)で66年と同一だった。
藤田さんは「わが国の戦後でいえば、インドは労働力が農村から都会へ流入した『いざなぎ景気』の時代、中国は田中角栄元首相の『列島改造ブーム』の時代という高度経済成長期に当たる。一方で、ブラジルはすでに安定成長時代に入っている」と指摘する。
80年代後半から90年代前半にかけ、最高で年率2708%のハイパーインフレに見舞われ、経済混乱に陥ったブラジル。最大の民間銀行「イタウ・ウニバンコ」の投資アナリスト、ダニエル・スキアボンさん(27)はサンパウロ市内のオフィスでこう語った。
「わが国経済の基礎的条件はかつての姿と異なる。リーマン・ショックの際に最も影響が小さく、立ち直りが早かったことが何よりの証左ではないか。われわれはもう昔のブラジルではない。もう後戻りはない」
2014年にサッカー・ワールドカップ(W杯)が行われ、16年には南米初のリオデジャネイロ五輪が開かれる。20年の「サンパウロ万博」をもうかがう。ブラジルは現実の大国となったのか。その実像をさまざまなまなざしから報告する。
ブラジル連邦共和国 面積851万平方キロ(日本の22倍)、人口1億9070万人で、ともに世界5位。1822年にポルトガルから独立し、公用語はポルトガル語、74%がカトリック教徒。GDPは世界8位でASEAN(東南アジア諸国連合)10カ国の総計より大きい。1月に初の女性大統領としてジルマ・ルセフ大統領が就任した。
―産経ニュースからー
戻る