社会/経済

希望大国ブラジル(その30) エピローグ・日伯新時代 震災が育む在日日系ブラジル人との絆

がれきの中で日本人のおばあさんを抱きしめた。「ありがとう、ありがとう」。彼女は泣いていた。ブラジルから来日し神奈川県愛川町に住む日系2世、福本オスカー博之さん(35)は東日本大震災で被災した福島県いわき市でがれき撤去のボランティアをし、父祖の国の人々との距離が縮まるのを感じていた。
 「日本へ来て10年になり、何かせずにはいられなかった。黙って見ていることはできなかった」
 福本さんはサンパウロ州の町で生まれ育ち、母の故郷である宮崎県へ留学したのを機に日本で働き始めた。現在はウェブデザイン業の傍らコンビニ店向けの弁当工場や自動車部品工場で働いている。

希望大国ブラジル(その29) 農業という最大の貢献 息づく日本の「産業組合運動」

巨大農場で「3本の矢」の青いマークに迎えられた。ブラジル東北部バイア州の辺境地帯、4万3千ヘクタールで綿花や大豆を生産する農事企業「ホリタグループ」。日系3世の堀田3兄弟が経営し、マークは3本の矢を束ねれば強くなることから3兄弟の結束を訴えた毛利元就の逸話にちなんだ。
 長男のリカルド・リョウスケさん(54)は「こまい(小さい)ときから、おじいちゃんに繰り返し聞かされてきた」と話した。次男のウィルソン・ヒデキさん(51)と14の農場を管理する。三男のバルテル・ユキオさん(48)は財務や「穀物メジャー」と呼ばれる欧米の穀物専門商社との交渉、資機材の購入を受け持つ。

希望大国ブラジル(その28) アマゾンを拓いた日本人 「高拓生」の歴史に光

小高い丘に墓標のように白い木柱が建っていた。ブラジル・アマゾンの町パリンチンス近郊のビラ・アマゾニア。かつて「八紘会館」という名の神社のような建物があった。はるか日本から入植し密林を開拓した、「高拓生」と呼ばれる若者たちの拠点だった。
 子孫らでつくるアマゾン高拓会会長でアマゾナス連邦大学の元副学長、佐藤バルジルさん(59)は「父親たちの偉業を後世に伝えることが使命だと思っている」と話した。

希望大国ブラジル(その27) 守り伝える日本人の精神 「卵王国」を訪ねて

地球の反対側に日本人が建設した町がある。サンパウロ州奥地のバストス。日系人による養鶏が盛んでブラジルの鶏卵生産の2割を占め、日本人が興した生糸工場はフランスの高級ブランド、エルメスのネクタイやスカーフなどシルク製品の90%を供給する。そこは日本人より日本人らしい日系人が暮らす町でもあった。

希望大国ブラジル(その26) 日伯の懸け橋 変貌する「もう一つの日本」

 時のかなたから聞こえてきたような、か細い日本語だった。ブラジル南部パラナ州の田舎町ホンカドルで暮らす日本人移民の池上俊光さん、87歳。
 「わたしは名古屋の中心地に生まれました。父親は理髪店をやっていた。だいぶん昔のことです」
 12歳だった昭和10(1935)年、一家で海を渡りコーヒー農園で働いた。土地を買って移り野菜を作った。
 「カフェ摘みの仕事は大変だった。早く言えば奴隷扱い。苦労しましたよ」
 質朴な寝室の薄青色の壁に昭和天皇と香淳皇后、皇太子時代の天皇、皇后両陛下、そして父母のモノクロ写真が額に入れられ、上から順に飾られていた。
 日本へは一度も帰国していない。帰りたくないかと尋ねると、「ひと苦労しました」と繰り返した。傍らで妻の2世、ツヤコさん(79)が話した。

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