希望大国ブラジル(その5) -親日の理由 被災地へ・・・「地球の反対側の見方」

希望大国ブラジル(その5) -親日の理由 被災地へ・・・「地球の反対側の見方」

親日の理由 被災地へ…「地球の反対側の味方」

 東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発をめぐり、ドイツなど32カ国が在京大使館を一時閉鎖する中、ブラジルのパトリオタ外相は松本剛明外相へ電話をかけ、こう伝えた。

 「日本人の忍耐と力強さに敬意を表する。日本政府から勧告がない限り大使館を退避させることはない」

 ブラジル日系社会では義援金を募る活動がやまず、中心的な3つの団体分だけでも2週間で80万レアル(約4千万円)を超えた。

 サッカー日本代表監督を務めたジーコ氏らは今月7日、パラナ州で慈善試合を行う。かつて鹿島アントラーズなどに所属していたアルシンド氏らも出場し観衆3、4万人を見込む。元日本代表の呂比須ワグナー氏は「被災者へ何かできることをしたい」と語った。

 米軍による救援活動「トモダチ作戦」を続ける米国のオバマ大統領は3月20日、ブラジル訪問中の演説で「われわれ両国と日本との絆は強い。日本人は最も近い友人だ」と強調し、ブラジルについての理由をこう述べた。

 「この国には世界最大の日系社会がある」

初の軍部トップ

 ブラジルが有数の親日国である理由に、推定150万人に上る海外最大の日系社会の存在が挙げられる。

 明治41(1908)年、初めての日本移民が海を渡った。以来平成6年までに25万人が移住した。日系人はその子孫であり、当初は農業移民だったが商工業や法曹、政官界へも進出した。2007年に日系人として初めて軍部のトップに就任したジュンイチ・サイトウ空軍司令官(68)もその一人である。

 「国のために働けることに喜びを感じている」

 首都ブラジリアの空軍省で司令官はこう話し、柔和な笑みを浮かべた。両親は青森、香川両県の出身。昭和8(1933)年に渡伯しサンパウロ州の小さな町で農業を営んだ。司令官は6人兄弟の長男だった。

 就任あいさつで「日系ブラジル人であることを誇りに思う」と述べたときの思いを問うと、こう語った。

 「日本人は裸一貫でこの国へ来た。働いても富につながらず、広大な農地で重労働に明け暮れても、子供の教育に強い関心と希望を持っていた。私も11歳で田舎から町の学校へ通った。一生懸命まじめに努力し働いたことで、日本人はブラジル社会で信頼を築いていった。そのことを私は誇りに思う」

日伯友好の金字塔

 親日の理由は他にもある。1962年10月26日、ミナスジェライス州のウジミナス製鉄所で溶鉱炉の火入れ式が開かれた。日伯両国旗が翻る中、300キロ離れたブラジル独立の英雄像前から運ばれた「聖火」を来賓のゴラール大統領がかがり火に移した。五輪の開会式のような華やかさだった。

 当時、製鉄所立ち上げのため八幡製鉄(現新日本製鉄)から出向していた新日鉄元副社長、阿南惟正さん(78)は「ウジミナスは日本鉄鋼業の海外進出、技術協力の先駆けであり、多くの苦労を乗り越えて築き上げた日伯友好の金字塔だった」と振り返る。

 ウジミナス製鉄所は半世紀近くたった現在もブラジルの粗鋼生産の23%を占める。50~70年代、日伯の官民協力によりアルミ、紙パルプ、農業開発など数々の国家プロジェクトが成果を挙げた。それは今日の「希望大国」への礎となった。

 義援金を受け付ける日系社会の中心団体「ブラジル日本文化福祉協会」事務局長で2世の中島エドアルド剛さん(51)は言う。

 「義援金は日系人以外のブラジル人からも多く届いている。この国への日本人の100年にわたる貢献が基礎にある。被災した方々は、日本人は、地球の反対側に味方がいることをどうか忘れないでほしい」

―産経ニュースからー

 

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