当日のパンフレッドに掲載された、西部アマゾン日本人移住略史を引用いたします。
アマゾナス州
1929年 9家族と単身者17名、計49名がアマゾナス州マウエス市に入植、500ヘクタールの土地でガラナの栽培を始めた。
1931年 アマゾナス州パリンチンス市、ビラアマゾニに7年間に渡り249名の日本人移民が入植。このプロジェクトの主な農産品はジュート麻であり、これはその後数十年にわたり州の経済を支えた。
1953年 マナウス州マナカプル市(現在のイランドゥーバ市)のアサヒ移住地に野菜と養鶏を目的に17家族 54名が移住。
1958年 アマゾナス州マナウス市エフェジェニオサーレス移住地は、マナウス・イタコチアラ街道沿いに入植し、野菜、養鶏に従事した。
1967年 アマゾナス州マナウスフリーゾーンの設置により多くの日本企業が進出し重要な位置を占めるようになる。これが呼び水になり商業も発達する等、マナウスにおける日系コミュニティーのプレゼンスが高くなってきてい。
ロンドニア州
1954年 トレーゼ・デ・セテンブロ移住地にゴム生産のため29家族 180名が移住した。その後アリケメス移住地(37家族 179名)、ジパラナ移住地(21家族 108名)と続いた。
ロライマ州
1955年 ボアビスタ近郊のミランドリーナに2家族、タイアノ移住地に11家族が移住した。同移住地へは後61年に佐賀県からの移民があり、野菜、養鶏に従事した。
アクレ州
1959年 最初の移民はリオブランコから30kmのキナリ移住地に6家族 44名が入植し、ゴムと野菜栽培に従事した。70年代にはさらに5家族が入植した。
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