繁栄の陰に日系人の犠牲 セラード開発
「菊地農場 ファゼンダ・キクチ」という山吹色の看板が緑の大豆畑に立っていた。ブラジル中部ゴイアス州。不毛の大地を穀倉地帯へと変えたセラード開発で生まれた農場を訪ねた。日系2世の菊地アルトゥル良一さん(65)は「どうぞ。まずカフェを召し上がってください」と丁寧な日本語で出迎えた。
両親は戦前に北海道から移民し南部パラナ州で農業を営んだ。9人の子供のうち男4人は1983年、ファゼンデイロ(農場主)を夢見てこの地へ来た。当初は780ヘクタールを所有したが、現在は300ヘクタールという。
「10年ほど前にコーヒー相場が暴落し借金ができて土地を売らざるを得なかった。今年は大豆も綿も相場がよいので期待している」
菊地さんは「そろそろ相場情報が始まるので」とテレビの衛星放送をつけた。出荷する大豆は「穀物メジャー」と呼ばれる欧米の穀物専門商社を通じ中国や米国へ輸出される。米シカゴの穀物相場は、菊地さん一家の生活に直結していた。
金利高騰に苦しむ
農業移民だった日系人はセラード開発でも先駆けを務めた。中核は日系の農業協同組合「コチア産業組合」だった。戦前に日本移民が作り、戦後の最盛期には組合員1万5千人を数えた南米最大の農協だった。
コチアと「スール・ブラジル農産組合」の日系2大農協はブラジル側の求めに応じ、組合員の子弟をセラードへ入植させた。80年代後半、ブラジル経済は物価上昇率が最高で年率2708%というハイパーインフレに見舞われた。日伯両政府などから融資を受けていた農家は、インフレに連動した金利高騰に苦しんだ。
両政府からの融資を代行した銀行が実行をわざと遅らせ、市場で運用して金利を稼ぐ不正も横行したという。パウリネリ農相の特別補佐官として開発に携わった日系2世、山中イジドロさん(75)は「銀行の不正流用があったのは事実だ。だが、誰も責任を取らなかった」と証言する。
日本人移民史「百年の水流」で知られるジャーナリスト、外山脩さん(69)によると、コチア、スール両農協は借金に苦しむ入植者のため、つなぎ融資のつもりで銀行融資を受けた。ところがこの金利もインフレで高騰し、両農協の財務は一気に悪化した。
日系人の日本への出稼ぎも急増した。両農協は94年、他の理由も重なり相次ぎ解散した。外山さんは「日系社会の支えだった2大農協という『城』が落城した。セラード開発の陰には日系人の死屍累々のしかばねがある」と指摘する。繁栄は日系社会の犠牲の上に成り立っている。
穀物メジャー支配
菊地さん一家のように生き残った日系農家の中には、成功者も出た。セラード開発はブラジルを農業大国へと押し上げ、アグリビジネス(農業関連産業)は2008年、GDP(国内総生産)の26%を占め輸出総額の35%に上る。
わが国はこんなにもセラード開発へ協力してきたのに、種や肥料、農薬の提供から輸出まで大豆市場を支配するのは穀物メジャーだ。大半の日本の商社はブラジル産大豆をシカゴの穀物市場で購入している。
三井物産は07年、ブラジルで11万ヘクタールの大豆農場を持つ欧州のマルチグレイン社へ出資し、今年1月の追加出資で連結子会社化した。丸紅は09年、ブラジルの穀物大手アマーギと提携し、取引の半分はメジャーに頼らず直接買いつけている。
丸紅が昨年、ブラジルでの穀物取引強化のため、現地トレーダーを雇用したところ、直後に中国の穀物企業が数倍の報酬を示してヘッドハンティングにきたという。
―産経ニュースからー
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