希望大国ブラジル(その4) -トラウマを超えて 日本企業再挑戦

希望大国ブラジル(その4) -トラウマを超えて 日本企業再挑戦

トラウマを越えて 日本企業再挑戦

 気温40度、真夏の太陽の下を重工業メーカー「IHI」グローバル戦略部担当部長の井手博さん(50)が歩く。リオデジャネイロのビジネス街。同社は昨年11月、ブラジルでの拠点として現地法人を設立した。17年ぶりの再進出だった。

 グレーのスーツ姿の井手さんは「先輩が築いたブランド力が残っている間に一歩でも前に出ないと」と話しあいさつ回りを続けた。

 IHIはブラジルで栄光の歴史を刻んだ。前身の石川島重工業が1959(昭和34)年から、「メザシの土光さん」と親しまれた土光敏夫社長の指揮の下、この地に中南米最大のイシブラス造船所を育て上げた。

 70~80年代は日本の進出企業が500社近くに上った「ブラジルブーム」。新日本製鉄、川崎製鉄(現JFEスチール)はそれぞれウジミナス、ツバロン製鉄所の立ち上げに参画した。

 だが、80年代後半から、ブラジル経済は物価上昇率が最高で年率2708%のハイパーインフレに見舞われた。日本企業は90年代に半数が撤退、イシブラスも94年にブラジル企業に吸収合併された。同社に在籍したIHI取締役、塚原一男さん(60)は「他に選択はなかった」と振り返る。

「本物」で超インフレ克服

 超インフレにより、ブラジルの通貨はクルゼイロ、クルザード、新クルザード、クルゼイロ、クルゼイロ・レアルと86年からの9年間で5回変わった。給料日のスーパーには現金を信用せずモノに換える人が群がった。

 94年、経済学者で後に大統領となるカルドゾ財務相は「レアルプラン」を実施した。「本物」をも意味する新通貨レアルを1ドル=1レアルに固定し、ドルの信用力を後ろ盾に国民にレアルを信じ込ませることで、超インフレはわずか1カ月で沈静化した。その後の17年間、平均インフレ率は6%台で推移し近年は4~5%。レアルは現在も同国の通貨であり続けている。

 ジェトロ(日本貿易振興機構)サンパウロセンターの沢田吉啓所長(56)は「韓国LGや米ウォルマートは94年の直後に進出した。日本勢は距離的な遠さに加えインフレへのトラウマから進出が遅れた。インフレ再燃への不安から二の足を踏んだ」と指摘する。

「芝刈り機だって売る」

 昨年5月、東北部ペルナンブコ州の臨海工業地帯。新興造船会社「アトランチコスル」が建造したタンカーの進水式にルラ前大統領が出席した。同社には韓国造船大手で世界2位のサムスン重工業が10%出資している。ルラ氏は満面の笑みで、韓国から訪れたサムスン社長と並んでいた。

 まるで、53年前の1958年、イシブラス造船所の定礎式に当時のクビチェク大統領と土光社長が並んだ様子を再現したかのような光景。アトランチコ社ではイシブラスの元社員たちが幹部となり、「イシカワジーマ」の技術を伝えている。

 ジェトロによると、日本からBRICsと呼ばれる新興国への進出企業は中国2万2260社、インド630社、ロシア600社。ブラジルは350社にとどまっている。JFEは2005年、ツバロンから撤退した。ただ10年の進出相談は550件と、ここ5年で3倍に増えているという。

 ブラジル三井物産社長でブラジル日本商工会議所の中山立夫会頭(58)は「韓国や中国の動きが目立つものの、日本の最新技術とブラジルの資源が合わされば、世界最強のパートナーになれる」と語る。

 往復50時間かけて日伯を行き来するIHIの井手さんはこう言い切った。

 「韓国と同じことをやっても勝てない。超深海油田向け大型タンクからゴルフ場向け芝刈り機まで、何でもチャンスをつかむ。土地に根づく覚悟でやる」

―産経ニュースからー

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