脚光を浴びたゴムのアマゾン

脚光を浴びたゴムのアマゾン

 

アマゾンの名を一躍世界に馳せたアマゾンのゴム景気について。

なにしろ、僻地アマゾン、水とジャングルのアマゾンが世界の檜舞台にさっそうと登場、栄華を誇ったのだ。そして僅か半世紀にも満たない虚構の繁栄の後、急速に衰え再び水とジャングルのアマゾンに戻り、世界から忘れられた存在になってしまう。

脚光を浴びた登場振りも劇的だが、アッという間に舞台から姿を消し、二度と表れることのなかった退場も悲劇的で印象深い。

ゴムは1839年、自動車タイヤ屋の元祖チャールズ・グッドイアがゴムの穏和流方、1846年にパークスが冷和流方を発明したことから需要は飛躍的に増大する。

それ迄にもゴムの使用はあったのだが、粗ゴムの欠点が改良されなかったため、大量に使用されるまでには至らなかった。

ゴム質樹皮を分する泌樹はからりたくさんあるが、その中でもアマゾン地方に自生するパラーゴムの樹脂は品質がすぐれている上に数量が多い。

パラーゴムが重要な商品になると分かった途端、イギリス、アメリカ、ドイツ、オランダの商人達はどっとアマゾンに押し寄せ、ベレンやマナウスに支店を開設した。

そして1870年 代にはイギリスのレッド・クロス汽船会社によるアマゾン―リバープル定期航路、同じくイギリスのブース・ライン会社によるアマゾン―リバープル、アマゾン ―ニューヨークの定期航路が開かれた。現在でもブース・ラインの貨物船はアマゾン―ヨーロッパ、アマゾン―北米の定期航路を就航しているが、ゴム景気時代 から100年以上もの歴史をもっていることになる。

アマゾンに本当のゴム景気が到来するのは1880年代以降である。

それまでは人口が少ないので、ゴムの木はあっても採取する労働者が極端に不足していた。

1880年以降、セアラーを中心とする東北伯からの移住者が約30万人、アマゾンに入ったが労働者はそれでも足りず多数のインジオが甘い言葉や、脅迫によってゴム採取に従事させられた。

ゴム景気は1911年まで続くが、1911年のゴム輸出量は4万5千トンを越し、ほとんどコーヒーの輸出金額と匹敵する実績を挙げた。

コーヒーとゴムは、この当時におけるブラジルの二大輸出産品で、二つの産物の輸出に占める割合は80パーセントを上回っていた。

しかし、ブラジル国家に対する貢献度からみると、ゴムは問題にならぬほど低かった。ゴムによる利益はすべて外国商社に吸い上げられたからである。

信じられないことだが20世紀の初頭でもアマゾンにはブラジル銀行の支店が一つもなかったから、輸出取引はすべて外国銀行支店を通してしか出来なかった。

ブラジル銀行がなかったばかりではない。この当時は近代的な貨幣流通経済は発達しておらず、アマゾン奥地の労働者に行き渡るほど貨幣は普及していなかったし、第一貨幣そのものが不足していた。

そこで「アピアメント」というアマゾン独特の経済システムが出来上が る。アピアメントとは、「前近代的商品高金利貸システム」であるが、要するに金を貸すかわりに食糧、日用品、雑貨等の商品を高利で前貸しし、返済はゴムで 清算する方法だ。商品を前貸しする方をアピアドール、前借する方をアピアードという。

ゴムを輸出するのは外国商社で、これは独占だからブラジルの業者は手を出せない。

外国商社にゴムを売るのはベレン、マナウスサンタレンの町に大きく店を張ったカーザ・デ・アピアドーラと称する大手業者で、アピアメントはここから始まり、順次中、小業者へと下がって行く

大手業者であるカーザ・デ・アピアドールは、外国商社から代金を受け取るとその金で大量の商品を買い込む。その商品に高い利子をつけて傘下の業者に前貸しする。商品を受け取った業者はさらに高い利子をつけて各地の小業者に貸す。

こうしていくつかの段階を経て、バラコンと呼ばれる奥地の小商店(よろず屋)まで商品が辿りつく。これら中間業者は貸す時はアピアドールで借りる時はアピアドールになる。

バラコンの店主はいよいよ消費者である労働者に商品を前貸しするのだが、幾つかの中間業者の手を経るごとの高利がつけられるから、最終消費者の労働者に渡る時は眼の玉が出るほどベラボーな高値になっている。

ゴム液の採取は一人一日3キロが平均である。ゴムの価格は等級によって違うが、1キロ1ミル500から2ミルレイスだから、1日の収入は4ミル500から6ミルレイスぐらいになる。

普通だったら充分やっていける金額だがカフェー1キロが5ミル、砂糖も同じ、主食のファリーニャ・デ・マンキャカはアルケール(15キロ)21ミル、ハンモックは50ミルもするのだから労働者はたまったものではない。

その上、労働者はマンジョカをつくることも、豚やアヒルを飼うことも禁じられ、必要なものはアピアドールから前借しなければならない仕組みになっているから女、子供を総動員してゴム液採取に励んでも借金は増える一方だった。

こうして集められたゴムは商品とは逆の経路を辿って大手業者の手に収まる。儲けが上にいくほど大きくなるのはいうまでもない。

ゴム景気の栄華の仇花はこうした基盤の上に咲いたのである。

 

<サンパウロ新聞 アマゾン学のすすめ>から

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